始めに
ういっす、まんじです。
2022年の3月に早稲田を卒業したので、卒業してから1年経過しちゃったんですけど、クソ長かった7年を振り返っておこうと思います。
そもそもなぜ卒業までに7年もかかったのか
大学2年の頃から大学に行かなくなったのと、大学3~4年は休学してたからです。
留年1年 + 休学2年 + 浪人1年
というなかなかなやばいやつなんですけど、休学してた頃も自分でビジネスとかをしていたので、まあいっかとは思いつつううんって感じな微妙な感じです。
でもそもそも、中学2年から中学は行ってないし高校も定時制でほぼ行ってなくてネトゲ廃人だし、自宅浪人してるしってことで、学校に行くのがどうも向いてないというかかなり嫌いな性格でした。
学校に通う良さが小学校の頃から疑問だったんですが、今も規則的に一定のリズムで週5拘束されるのが無理です。
当時の学年別振り返り
1年目: よっしゃ早稲田だ!よっしゃ!
偏差値28とかから大学受験してるので、早稲田入った時はくそ嬉しかった記憶があります。
入学式とかの変な校歌、都の西北をあの変なでかい文キャンのほう(人科だから分からないww)ホールでハリーポッターみたいな服着た学長っぽいやつが歩いてるのはシュールでうけたのと、あの時は感動しました。
あと、早稲田ってわりと兄弟とか親子で入ってる人が多いみたいで、入学式で親がめっちゃ校歌歌ってるっていうがわりとウケるポイント1でした。
それで早稲田に入れてウレピ〜〜〜と思いつつ、サークルの新歓とか行ってみたり授業出てみたりしているなかで気づき始めました。
「何かが違う」
そう、今まで普通に人と協調して同じような場所に通う経験をして生きてきたことが中1までで止まっていたので、明らかに何かが違う感がやばすぎました。
新歓とかの飲み会行っても「これ楽しいか???」みたいな。
確かに美人の先輩とか可愛い先輩と話せるのは楽しいが、「これ楽しいか????」と何度も思い、5月頃からは大学にほぼ行かなくなりました。
入って1ヶ月で大学フェードアウトが始まりました。
2年目: 迷走期
「どうしよう、大学つまんない・・・」
「大学の勉強もなんのためにするのかわかんなくて鬱」
こんな感じで自分の生き方みたいなのにとてつもなく違和感を感じ始めていました。
なんていうか、めちゃくちゃ充実してない状態でした。
やりたい勉強も分からないし、こうしたいとかも分からないし、何かをしたいけどそのための手段も分からない、そんな状態でした。
それで徐々に大学はほぼ行かなくなり、個別塾でやってた塾講師のバイトして、あとは家でYoutube見て鬱になるみたいな生活を始めていました。
この時期はとにかく鬱でした。
ただ、夏頃ぐらいに、メルカリの無在庫転売という究極にショボイビジネスに出会って少しずつ変わり始めました。
メルカリの無在庫転売では、Amazonとかにある商品をメルカリで販売して売れたらAmazonから発送するというわりとクソなビジネスだったんですが、初月から数万円稼げて興奮したことを覚えてます。
それまで、「ビジネスをしたいな〜、お金稼ぎたいな〜、でもどうやっていいか分からないな〜」と思っていたんですけど、なんとなく稼ぐ経験がそこで得られました。
- 販売して
- 売れれば
- 稼げる
このことに気付いて、無在庫転売から今度はNETSEAという個人でも使える卸プラットフォームから仕入れてメルカリで売るということをしてみました。
「売れるWWWWWWWWW」
と気付いて、今度はさらにtaobaoから仕入れてメルカリで売るということをしてみました。
「こっちのが利益出るWWWWWWWW」
ただ、なんとなく違うなと当時思っていました。
何が違うのかというと、売ってる商品の品質があまりにも良くなくて、かつ、メルカリで大量にツール出品をしていたのでアカウントが止まりまくるのでそれに恐怖する日々でした。
「困ったな〜」と萎えていたところで、中国輸入OEMという手法を知りました。
中国輸入OEMでは、1688などに出展してる工場に自分のブランドを作って、それをちゃんとAmazonで売りましょうってスタンスの手法でした。
雑魚のぼくでも「これは結構まともだし、スケールもしそうじゃね?」と感じたのと、自分一人だと無理ゲーすぎると感じたので、冬頃には120万円のコンサルを申し込んでいました。
東京の都心のカフェで契約をしたんですけど、何度も
「詐欺じゃないか!?詐欺じゃないか!?大丈夫か!?」
と、反芻しまくった記憶が今でも強いです。
ただ、そのコンサルをしてくれた人というか、会社はちゃんと実績もあるとこで普通に良いとこだったので、当たりでした。
あと2年の秋か冬か忘れたんですけど、早稲田を休学することにしました。
その時、休学面談みたいなのがあったんですが、当時クズすぎて面談の時間を1時間遅刻して「スイヤセ〜ンw」みたいなことほざいて若干キレられました。当然である。
この頃もまじでいろいろとクズだったと思います。
3~4年目: 中国輸入OEMとSEOアフィリエイトをひたすらやる(大学は休学)
(in 家)
(自分で服を着て撮影したり、まともなことから意味不明なこと含めていろいろやりました、やってしまいました…)
かなり悩みながら試行錯誤しつつ死にかけつつ取り組んでいました。
結果的には、中国輸入OEMのほうが月の利益でMAX120万円程度、SEOアフィリエイトがMAXで月30万円程度までいきました。
この頃は朝起きてから昼の真ん中ぐらいまで中国輸入OEMのことして、そこからSEOアフィリエイトやるみたいな生活をひたすらしてました。
物販も在庫を中国から自分が契約してた外注さんの倉庫やFBA(Amazonの自動発送サービス)に入れていて、かなり作業が減って、寝て起きると50個とか売れていたり、SEOアフィリエイトもASPにログインすると売り上げが発生していたり、人に仕事の一部を外注したりしていて、「おれちょっとすごくね?」と当時は少しだけ思っていました。
今思うとクソ雑魚です。
あとこの頃は不安がすごかったです。
明日売れないんじゃないか、売れてる商品や記事が飛ぶんじゃないかっていうのがとにかく不安でした。
5年目: 大学に復学した
(in 所沢キャンパス, 森すぎる)
せっかく早稲田入ったし、かと言って自分でビジネス1本でいく覚悟も収益もなかったので所沢体育大学に復学しました。
ちょうどこのタイミングで中国輸入OEMのビジネスでわりとでかめの赤字を出した時期でした。
OEMして新商品入れたはいいものの、集客コストが高すぎて普通に毎日赤字みたいな状態を経験しました。
寝て起きて広告費が3万飛んで全然売れてないみたいなのが何日も続いた時は当時結構ビビりました。
この頃はメンタルが弱かったので、もう無理…と思って、中国輸入OEMで新商品を販売することをやめました。(新商品を作ってローンチするのに先行投資が必要でそれに耐えられないてきな)
それから「やば、どうすればいいんだ、オワタ」と思って次に挑戦することができなくなりました。
話は大学に飛び、大学に復学したら今度は再履修の講義(データリテラシーと言う)で、大学1年の頃に基礎ゼミで一緒だった人が大学院に入っていて、ぼくは大学2年生と同じ場所で同じ授業を受けていてさすがに恥ずかしかったですw
この頃も何気にアフィリエイトと型ができている物販の販売で月に20万円とか稼げていたんですが、どうしていいか分からなくなっていました。
- SEOアフィリエイトは、なんかやってることがクソすぎるのと、将来性がなさすぎる
- 物販は、結局投資して回収のサイクルを繰り返すからいつまでもリスクがある、そんでお金をもっと借り入れしないとそもそも無理と気付く、単発の赤字と付き合い続ける必要がある
こんな状態で、これまで頑張ってやってきたつもりだけど、これからに迷い始めた時期でした。
あと大学の成績が全部A以上で、なぜか1回も欠席しないという謎の真面目っぷり。
大学6年目: ゼミに入ってプログラミングを始めた
大学6年目では、大学3年生と同じでゼミに入ることになりました。
おい、3年差あるぞ、おい(1浪してるから実際4歳差とかあるっていうww)と、くそ恥ずかしいと思いつつ、ちょうどコロナにもなって全部リモートでよくなりました。
ゼミが情報系のゼミで、毎週なんかしら報告しないといけなかったので、とりあえずプログラミング言語Pythonを始めてみることにしました。
25歳も終わりかける頃だったので、わりと絶望してました。
この頃はプログラミングを使って仕事しようなんて思っていなくて、とりあえずなんかスキルにはなるし、ビジネス怖いし、いいか、、、みたいな理由だったと思います。
それでなんとなくノリで毎週の大学のゼミ報告でプログラミングで勉強したことを報告するようになりました。
「Pythonを勉強しました〜」
「Flaskを作ってPythonでウェブアプリを作ってみました〜」
そうこうしてるうちに、4ヶ月ぐらい適当に勉強してから、1回プログラミングで働こうかなと思い始めました。
勉強時間も1日3~4時間から、7~8時間ぐらいに増やして、一旦自分のビジネスも全部辞めました。
収入が消えたので、わりと不安というか、「あ〜あ〜今までやってきたこと捨てるのか〜」と結構落ち込みました。
それからやったことは結構シンプルでした。
まず情報を集めて、ポートフォリオが必要ってことだったので、ウェブアプリを2個ぐらい作りました。
その後にコーディング試験っぽい問題をやって、新卒のエンジニア就活(当時26歳w)とインターンに応募し始めました。
新卒エンジニアの就活では、早稲田ってのもあったのと自分でビジネスっぽいことをしてきたので、書類はメガベンチャー含めて全部通って、落ちる場合は大体技術面接でした。
当時、nginxをエヌジックスと呼んでいたのは懐かしいです。
受けてたのは基本的に自社開発のウェブエンジニアを募集しているところでした。
就活は全部オンラインであんまり苦労せず、知名度があるところよりもホワイトっぽいところに決めました。
インターンに関しても並行して応募してて、ひたすら落ちまくったんですが、たまたま1個面接してもらえて社長も早稲田だったからかそこでクソ雑魚駆け出しエンジニアとして働けることになりました。
あと、大学のGPAが3.5だか3.8だかそれぐらいで(MAXが4)、A+ばっかで謎に成績が良かったです。
7年目: エンジニアインターンと卒論
(初日の出社日に環境構築ができなくて死んだと動画で当時のぼくが語ってる)
大学7年目は、エンジニアインターンと卒論を始めました。
エンジニアインターンは、人生で初めて会社で働いて、ベンチャー企業でした。
しかも内容がプログラミングだったので、最初の頃は死ぬほど新鮮でした。
- 何時に来て何時に帰ってもいい
- コンビニのバイトと違って監視されない
- お菓子食べながら、飯食いながら作業してOK
- 突然ラーメンをズウズウ吸いながら作業し出す人が出現する
- めっちゃ、吸うやん、みたいな
- 音楽聞きながら作業してOK
- 業務中にググってOK(当たり前)
- 社員と同じようにプログラミングで労働できる
- 時給が1200円
- 時間が経つのが早い
- 働いた時間が勉強時間にもなる
- めちゃくちゃできなくてコードレビューでボロカスに叩かれる😱
- 自分が全く役に立たない
- 完全に雑魚
こんな感じで、塾講師とセブンイレブンのバイトしかしたことがなかったので、本当にめちゃくちゃ新鮮でした。
それと同時に「なんで今までコンビニバイトとか塾講師とかしてたんだ?」とバイト無駄理論みたいなのを元々知ってはいたけど、実感に変わった瞬間でした。
(とはいえ、サービス業は可愛い女性とも接点も多いし、そういう点では以下省略)
で、
とりあえず1日6時間働いて、上司にコードレビュー含めてボロカスに叩かれ、まともにタスクがこなせないのでまた底辺を味わいました。
大学受験で偏差値26だか28の頃に集団授業受けてた時みたいな感覚です。
居場所が、ない。
人権が、認められ、ない。
雑魚として、認定、される。
22歳ぐらいの頃はちょっとすごいみたいな感じに周りから思われてて、ドヤってて、今思うとくそ死ぬほどしょぼいんですけど、そういう経験とのギャップで結構メンタルにきました(笑)。
高田馬場だったんですけど、インターン先から高田馬場の駅まで歩く時に「今日も全然できなかった…また来週もか…つらい…」と完全に敗北をし続ける日々みたいなのが入って半年は続きました。
ただ、半年後?8ヶ月後?くらいからはちょっとずつ分かるようになってきたのと、上司がエンジニア社長になったので、そこから気合入れつつ自分で勉強っぽいこともしていたら、最終的には「地味にこいつできね??」みたいなポジションになっていました。
当時を振り返ってみると、こんな感じ。
- 0~8ヶ月目: 完全なる雑魚
- 8ヶ月目~インターン終わるまで: あれ、地味にこいつできね?
最後らへんの時期にはぼくから見ても「あれ、社員のやつそこまでできなくね?」とか、「おれのがワンチャンできそうだな」みたいに思い始めました。
一方で、卒論のほうは相変わらず大学6年生から定期報告を毎週してて、夏頃からは卒論をしないといけなくなったので、地道に卒論のテーマを決めてデータ収集して分析っぽいことをして、最後の12月、1月の時期に文字にして提出しました。
卒論はたしか3万文字とかだった気がします。
やったことはまじでしょぼくて、Twitter APIでツイートデータを収集しまくってそれをただ集計して結果を書いただけというw
でもそれでも、成績がA+で、一応卒業できました。
ということで、大学7年目は終わり、ようやく早稲田人科を卒業できました。
小学校より長い期間でした。
7年かけて卒業してみて思うこと
特に何も思わないっす、とか書いてしまうと終わってしまうので、捻り出します。
個人的に1番思うのは、大学入ってから早くもっといろいろな情報をリアルで取りに行って動き出せばよかったなって思います。
大学1年の頃に大学入って「うわ〜思ってたんと違う〜」ってなったんですけど、それならそれで早く別の何かを探し始めるべきだった気がします。
リアルの世界にはまじで凄い人とか尊敬できる人とか生き方がかっこいい人とかがリアルにいて、それを実感できます。
ただまあ、当時はそういうことも分からなかったので、それはそれかなと思います。
あと、大学1年、2年、3年、4年、5年、6年の頃にもっとできたなっていうのは、シンプルに思います。
ビジネスやって売り上げそこそこたってる時でさえ、夜毎日アニメ3時間とか見てたんで、意外と本気じゃなかったなという笑。
当時は「暇だ」とか言ってたんですけど、暇ならもっといろんなことを勉強すべきだったし、もっとやれることをやるべきだったなってのは思います。
とはいえこういうのは、大体おじさんになってくると出てくる結果論です。
ぼくはとりあえず今から必死こいて生きたいと思います。
エッビマヨマヨ!ヽ(Д´#)ノ エビマヨ!ヽ(Д´#)ノぷんぷん!
はい。
まとめ
思ったよりも書くのに手が止まらなかったので、一気に書いちゃいました。
大学の7年間、19~26歳ぐらいまで失敗しまくりすぎて振り返ってみると発狂してるんですけど、糧になることをお祈りしたいと思います。
今も微妙なんで、もうちょっとがんばりたいなーって感じです。
終わり!