始めに
どうも、まんじです。
2022年の8月から2023年の3月ぐらいまで普通にニートをしていたので、ニートをした感想でも書いていきたいと思います。
(プログラミングしたり投機したりしてたので厳密にはニートじゃないんですが、外部から拘束される労働を全くしていませんでした)
あと、何か参考になるような記事ではなくて、ただ「プチFIREっぽいニートをしたらめっちゃ微妙だった」という一言をダラダラと書く記事になっております。
そもそもなぜ半年間ニートをしたのか
新卒で入った上場企業をやめてドバイに法人作ったり海外旅行したりしていたのと、働かなくてもギリギリ(…?)生きていけるお金というか収入が労働しなくてもあったのでニートをしていました。
いわゆるプチFIREみたいな感じなやつです。
海外旅行などを終えてからは「好きな時間に寝て好きな時間に起きる」みたいな情報商材のキャッチコピーのようなニート生活をしていました。
半年のニート生活で起こったこと(思ったこと)
1. 朝起きれなくなって生活リズムが乱れまくった
「朝何時に必ず起きる必要がある」みたいなイベントが皆無になってしまったので、朝起きれなくなって昼夜逆転しまくりました。
ひどい時は、、、というか定期的に昼の12時に寝て夜の8時に起きてから1日が始まるみたいな廃人のような生活をしていました。
夜に起きるとなんていうか自己肯定感がめっちゃ落ちるというか1日無駄にして「何やってんだ俺感」がすごかったです。
1日の始まりがいつもクッソ鬱みたいなそんな感じでした。
あと定期的に気合で生活リズムを戻すんですが、2日程度でまた昼夜逆転するという無限ループでした。
2. 予定がなさすぎてまじでつまらなかった
定期的に人に会うイベントはあったものの、頻繁に予定が入っているわけではなかったので、とにかく暇でつまらなかったです。
朝(夜)に起きてから「今日何しよう…」みたいなことを思うんですけど、なんていうかまじで感情的にも微妙でした。
予定がないのでメリハリもつかず、結局ダラダラダラダラと、ダラダラとなんかやってんのかやってないのかよく分からない時間を大量に浪費していました。
3. 1日の生産的な時間が2時間ぐらいしか取れない
ニートと言えどやはり生産的な時間は持ちたいもので、プログラミングのアダルトウェブアプリを開発していました。
が、なんの拘束もなく時間も好きなだけ使えて自由にしていると、ビックリするぐらい捗りませんでした。
- 夜起きる: 今日何するか…コード書くか…
- 2時間コード書く: だめだ全然捗らない死にたい
- 2時間後: 集中できないし、やりたくないし、ひま〜
↑このパターンを毎日繰り返していました。
生産的な時間が2時間もないので、自己肯定感が地に落ちていました。
4. 寂しいしつまらない
当時住んでいたところが浅草近辺のタワマン(←はい)だったので、よく夜に浅草に散歩しに行ってました。
なんていうかみんなでワイワイと遊んでる人たちをみて孤独感でさらに鬱になってました。
5. なんの承認欲求も満たされず、つらい
人と関わって労働していると「あいつうぜえええ」など「褒めてもらった///嬉しい///」などの感情が大なり小なり発生すると思うんですが、がちで孤独だったので承認欲求というか帰属欲求みたいなものが満たされず精神的につらかった記憶がめちゃくちゃありました。
とにかく孤独感というか、感情が満たされない感がすごかったです。
6. 全てが捗らない
- プログラミング書く⇒捗らない
- 娯楽を楽しむ⇒捗らない
- 日々の生活⇒捗らない
という具合に全てが捗らなくなってしまいました。
「朝起きれない⇒病む、コード書く⇒書けなくて病む、病むから⇒病む」みたいな負のスパイラルとはこの状態だったんだなと思います。
毎日アニメとか漫画とかを4時間とかしていたんですけど、わりと虚しい時間だった気がします。
新しく見るものもなくなって見たことあるアニメを何周もして当初ほどは楽しめなくてつらいみたいな。
7. 暇すぎてTinderをやるも出会う前にモチベが尽きてしまう
- 暇すぎてTinderを始めた
- 無料でもわりとマッチしてメッセージができる
- 出会う前にモチベがたいてい尽きてしまう
- Tinderに登録してみて思ったこと1選
- おれってまだ若いだろって思ってたら、もうおじさんだった
半年間のニート生活を振り返って思うこと
なんだかんだで人って1人では生きていけないというか、何かしらの大なり小なりのストレスや社会的な関わりがないと生きていけない生き物なんだなと半年間のニート生活で強く痛感しました。
- 仕事で拘束されるから朝起きないといけない
- 人に会うから起きないといけない
- 今日はめっちゃやったぞ!
こういったイベントというか、そういう感じがないと人は鬱になってしまうのだと学びました。
人生だるかろうが運ゲー要素が強かろうが、いわゆる「前に進んでいくしかない」てきなチープな自己啓発チックなことを痛感した半年でした。
別にリッチな暮らしをしなければぼくはもう働かなくても生きていけるのと、少しだけフリーランスのエンジニアで働いて保険をかけるみたいな生き方ができるんですけど、そういう生き方はやっぱつまらないな…と気付きを得た半年でした。
もしかするとそれなりにリッチな暮らしができる状態でニートになれればそこそこ充実するのかもしれませんが、そうなったとしても虚しくなってなんだかんだで結局ビジネスとか投資(投機)とかをして自分にない何かを追い求めている気がします。
まとめ
半年間のニート生活で思ったこと書いてみたんですが、シンプルに「鬱になった」ってだけでした。
もう少し掘り下げると、メリハリがつかずに死んだのと社会的な関わりが皆無でつまらなかったので、今後またニートになる時はそこらへんを考慮してさらなる上位ニートになりたいと思いました。
結局、飯が普通に食えて不自由なく暮らせても自己実現欲求的なのを満たしていけないと人は満たされないというかなんかそこらへんのことに関する感じのことがこの半年でよく分かりました。
なぜ人は苦しみながらも生き続けるのかという哲学的な問いをして終わりたいと思います。